ウィーン体制24-イギリス選挙法改正

産業革命が進むイギリスはいいことだけではない。自由主義生産がすすんだ結果、周期的に恐慌不況が訪れるようになった。1825年恐慌は長く32年まで不況が続いた。労働者は苦しみ、1831年に「労働者階級全国連盟」が結成され、団結権やストライキ権を求めた、そしてそのために普通選挙法を求める。

フランス革命からナポレオンにかけて国民運動を恐れ、弾圧が続いた。1819年には、ピータールーの虐殺が起こり、50人以上の政治集会は禁止されていた。選挙法改革は小幅な改革をするが、労働者の不満は解消せず、ますます改革を求めた。そんな中30年に国王ジョージ4世が崩御する。

国王崩御による総選挙では、選挙法改正が争点となった。各地で「改革同盟」が作られた。選挙後の議会は混乱し、31年3月首相に就任したチャールズ・グレイは、選挙法改正を発表したが僅差で否決されると、首相は解散総選挙を宣言した。選挙結果は改正推進派のホイッグ党が勝利した。

選挙法改正は庶民院では可決されたが、貴族院で否決されたため暴動が起きる騒ぎとなった。さらに納税拒否やイングランド銀行から預金の4分の1が引き出され、ようやく貴族院が第三次改正を可決した。この改正では有権者資格の財産が引き下げられ、中流まで広げられたが、労働者の選挙権は得られなかった。

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。