ウィーン体制23-コレラのパンデミック

コレラはもともとガンジス川一帯の風土病だった。これが世界にパンデミックを引き起こしたのは、もちろんイギリスのインド進出が関係している。1817年からはアジアに広がり、22年には長崎から日本に侵入し、京都大阪で大流行した。26年は西に行き、メッカの巡礼者に流行し、ロシアから欧州に入った。

パリでは32年2月13日からイギリス経由で侵入した。瞬く間に流行は広がり、4月上旬2週間だけで7千人もの人が亡くなった。当時は7月革命直後の不穏な空気があり、政府の手先が共和主義者に毒を広めたという噂が広がって、リンチが行われ、小規模な暴動が起こった。

さすがに16世紀のペストのように、死の天使などとは考えなかったが、それでも新聞には大鎌を持った死神のような姿にコレラをなぞらえている。フランスは臨床医学では先端だったが、首相ペリエの主治医は、蛭に腹の血を吸わせる瀉血療法を行い、大量の蛭が輸入された。が結局首相ペリエは死亡した。

コレラはパリの貧民街で古い住宅を借りていた者や、安宿の住民を特に犠牲にした。不衛生な水環境を通じてコレラが広がったのである。そしてそれが一段落した6月に暴動が発生した。当時は不況も重なっており、貧民はガマンの限界を越したと考えても不思議ではない。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。