ウィーン体制19-ギリシャ独立王国

1830年2月、21年より続いたギリシャ独立戦争の結果、ロンドン議定書で独立が承認された。当初民族主義の進行を望まない列強は、ギリシャ独立に否定的だったが、ギリシャブームによって市民は独立を支持していた。英国詩人バイロンだけではなく、フランスも義勇軍がギリシャで戦った。

1827年偶然起こったナヴァリノの海戦で、オスマン軍は英仏露艦隊に敗北し、翌28年露土戦争が起きる。29年講和条約の中でギリシャ自治国が決められたが、このままではロシアの影響力が大きくなると、英仏は、ギリシャの独立に舵を切る。特に7月革命の後のルイ・フィリップは、次男をギリシャ王とする野望を持った。

オスマン帝国は、その中で各民族、宗教が自治を認められていたが、フランス革命のナショナリズムの広がりで、帝国が保てなくなった。スルタンマフムト2世は、改革の邪魔となっていたイェニチェリを廃止し、各地の領袖の力を削いだが、それによって軍の力は一時的に衰退し、エジプトと戦争することになる。

列強の介入で、ギリシャは王国とされ、ギリシャと縁のないバイエルン王国の王子が国王となった。ギリシャ人は政治経済から排除されおり、ギリシャは混迷することになる。一方で、残ったヴァルカン半島でも、独立の動きが強まり、列強も介入して民族のるつぼは火薬庫となっていく。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。