1825年12月14日、ロシアの新皇帝即位式の日に、自由主義的青年将校が3000人の兵と共に蜂起した、デカブリストの乱である。アレクサンドル1世が崩御してから、弟のコンスタンチンとニコライの間で帝位継承のやりとりがあって、2週間の政治的空白が生まれた。デカブリストは、コンスタンチンを支持した。
兵士達は「コンスタンチンと憲法を」と叫んでいたが、理解していた者は少なかったようだ。新帝ニコライ1世は、交渉役が狙撃されると、政府軍を投入し、デカブリストの乱は1日で終わり、裁判を受けた579名のうち5人が死刑となりその他はシベリア送りとなった。
デカブリストの乱は、イタリアやスペインと同じような自由主義将校らの反乱であり、いずれも準備不足で、民衆の支持が得られず失敗した。これを受けて新帝ニコライ1世はヨーロッパと同様に検閲制度を始め、秘密警察を創設して、国民の中の思想をチェックしていくこととなった。
この秘密警察によって、当時先進思想を書いていたプーシキンらは、秘密警察にチェックされて、発表ができなくなった。だが、デカブリストの乱は、ロシアの自由主義的改革の第一歩として語り継がれ、その後の政治社会文化に大きな影響をもたらす事件となった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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