ロシア帝国の道23-アレクサンドル1世崩御

ベートーヴェンの第九交響曲は、ロシア皇帝アレクサンドル1世に捧げるはずだった。ベートーヴェンは、ヴァイオリンソナタ6、7、8番も捧げている。パリ入城したときの彼の人気は凄まじく、皆が彼に触れたいと寄ってきた、と皇帝は回想している、ベートーヴェンがナポレオンの代わりの英雄に見立てたのもおかしくはない。

しかしロシア皇帝は、1825年12月1日に崩御してしまい、曲はプロイセン国王フリードリヒヴィルヘルム3世に献呈された。ロシア皇帝は、モスクワ大火の後のナポレオン敗退に、神の摂理を見て非常に敬虔となった。ウィーン会議では、キリスト教に基づくヨーロッパ神聖同盟を提案したがマジだったようだ。

しかし、欧州に行って啓蒙主義に影響された青年将校達は、ロシアの革命や皇帝暗殺まで謀議するようになる。1820年には近衛兵のセミョーノフスキー近衛連隊で蜂起があった。この事件の処分を行った皇帝は泣いたというが、さらに崩御直後のデカブリストの乱につながってくる。

そしてウィーン体制の大きな柱であった皇帝の崩御は、この体制に大穴をあけて、もはやメッテルニヒの外交力だけではどうにもならないところになる。穏健な平和はこの後崩れ去ってしまうのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。