カペー朝即位はユーグ48歳、半年後バルセロナにイスラムが侵攻しても「ワシ体力ないから無理」と援軍を断り、真っ先に息子を共同統治者にして王位継承の道をつけ、9年後の998年に崩御した。
息子ロベールは優れた教養と宗教心を持ち「ロベール敬虔王」と称される。ところがカール大帝の息子ルートヴィヒ「敬虔王」と同じく、女性に弱いのだ、純粋なのほど狂うとこわいってヤツ?988年、彼はイタリア王女にしてフランドル伯の未亡人@子供付、のロザーラと結婚、もちろん領地狙いの政略結婚だ。しかしウブな彼は本当の恋に目覚めた。
相手はやはり未亡人だったがカペー家とはライバルのブロア家、しかし障害があるほど燃えるというか996年に離婚して再婚しようとするが、ここで教皇グレゴリウス5世から待ったが入り翌年に破門ー!しかし悔悛を示したことで5年の悔悛の業で許されることになった、ところが。
再婚した妻が妊娠しないからまた離婚。3度目の王妃コンスタンツは3男4女を産むがワガママでまた離婚を申請したがさすがに許可されるわけがなかった。ハインリヒ2世が侵攻したときは難を逃れたが、王妃に唆された息子3人に反乱され、息子との戦争の中で1031年戦死した、まあ自業自得というべきかねえ。
下はジャン=ポール・ローランス作「敬虔王の破門」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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