カペー朝7-聖帝最大のピンチ聖皇后の試練

さて、この模範のような聖帝ハインリヒ2世にも最大のピンチがあった。それは聖皇后クニグンデとの関係である。クニグンデは、999年にハインリヒと結婚し、生涯政治的にもパートナーとなり、帝国の最高会議にも出席した。ローマ教皇からの戴冠も2人で行っている。

夫皇帝の留守のときは国を守り、なんとまあ軍を指揮して1012年にはポーランドを打ち負かしているのである。結婚したときにもらったバンベルクには司教座をつくり、スラブ伝道の中心だけでなく、文化の中心地としても発展するのである。

そんな2人だったが、なんとハインリヒ2世が1回だけ、彼女の不倫を疑ったことがあるという。そのとき、クニグンデは、あの聖リヒャルデスのように、神明裁判を受け、見事火を渡って無実を証明した。しかし肥満帝とは大違いのさすが聖帝、自分の非を認め、謝罪し、クニグンデは受け入れたという。この一件でハインリヒ2世は危うく地獄行きを免れたとされる。世の男性のみなさん気をつけよう

残念というかこのご夫婦、あまりに聖すぎて男女関係はまるでナシで、子供が生まれず、ここでザクセン朝は途絶えた。同じ聖王でもルイ9世は子供をたくさんつくってるのだが。しかしクニグンデは、夫の死後も、後継皇帝の摂政をして国につくして亡くなった。今頃は天国で仲良く暮らしているだろう。

下は聖ハインリヒ2世を赦す聖クニグンデ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。