カペー朝5-オットー3世ヴァチカン鬼ごっこ

983年のオットー2世の急死により、息子の3世はわずか3歳で帝位に就く。この一大事に母テオファヌが摂政についた。991年31歳の若さでテオファヌが亡くなると、祖母アーデルハイトが引き継いだ。嫁姑の仲は良くなく、テオファヌが亡くなったとき聖女アーデルハイトは高笑いしたと伝えられる。

994年に親政を開始した3世は、母テオファヌの祖国ビザンティンの影響で神権政治をめざした。教皇ヨハネス15世がローマ貴族の反乱で追放され亡くなると、996年ローマに侵攻。オットー1世の曾孫をローマ教皇グレゴリウス5世として選出、自身も皇帝として戴冠した。

しかし彼がローマを離れるとまたぞろ反乱し、グレゴリウス5世を追放して対立教皇を立てた。そこでまた逆戻り、グレゴリウスを復活させ、彼は古代ローマ宮殿跡のパラティーノの丘に宮殿を建て、東ローマ風の儀式を行い、「イエス・キリストの下僕」「使徒たちの下僕」「世界の皇帝」と称した。

999年グレゴリウス5世が謎の急死を遂げると次に自分の家庭教師をシルヴェステル2世として選出。しかし1001年にまたローマで反乱が起こり、宮殿を包囲されて教皇と共にラヴェンナに撤退、そして再侵攻を準備中の1002年マラリアで21歳の若さの命を閉じた。

下はジョセフ・エマニュエル・ファンデン作「オットー3世のアーヘン訪問」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。