カペー朝4-大修道院チェーンクリュニー戦略

910年、アキテーヌ公ギョームは、自分の死後のためにヴィラ・クリュニーという所にある荘園を修道院用地として寄進した。これが後に1000近くの修道院を傘下にもつチェーン、クリュニー修道院の始まりである。

クリュニーは聖ベネディクトの精神に戻る改革を提唱、927年第2代目院長聖オドンは、「聖ゲオルギウス伝」を書き、人々を守り神のために戦う騎士の理想像を描いた。封建時代に適合した信仰のあり方を示したのである。そして4代目の聖マイユールは、修道院財産をフランス王に確認させ、修道院長は大領主となった。

991年に就任した第5代院長聖オディロンは、994年のアンスの教会会議で、修道院が司教からも独立することを承認させる。そしてこの会議で教皇ヨハネス12世が11月2日の「死者の日」を制定し、クリュニー修道院系列で死者祈祷を行うことを承認した。

これと共に確立するのが「煉獄」である。聖人は天国へ、大罪人は地獄に行くが、そんなに罪を犯してない者は煉獄へ。そこで死後清められてゆくが、早く天国に行くためには、現世に居る人の祈りがキキメがある、オディロンは煉獄を見た巡礼者からきいたという。そして一族の平安のために、修道院に寄進が集まり、修道院は地方の産業や文化の中心となっていくのである。

下は現代のクリュニー修道院の威容

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。