カペー朝2-仏独代替わり戦争勃発

956年、フランス1の実力者であったユーグ大公が亡くなっていよいよカペー朝の創始者ユーグが17歳で継いだ。ところが代替わりと共にに臣下が次々と裏切り、フランスの半分くらいの領土があっと言う間にパリ近郊まで減らしてしまった。しかしカロリング王ロテールも15歳で、2人ともオットー大帝の弟ケルンのブルーノが後見してなんとか地位を保つありさま。

一方973年に神聖ローマを継いだオットー2世も、あのバイエルン公ハインリヒの子ハインリヒ2世を含む領主達の反乱に直面した。この時期になるとフランスの治世も安定して、この反乱に乗じて、978年係争の地ロレーヌをめぐりアーヘンに奇襲をかけ、オットー2世を捕縛寸前に追い込んだ。

守備よくロレーヌを手に入れたが今度は同年、オットー2世にパリ寸前にまで攻め込まれたが、ギリギリで勝利を得た。980年にはようやくドイツの反乱は収まり、オットー2世はイタリア遠征を行うが南イタリアでイスラムに敗北、83年28歳の若さで病死した。

フランスでは986年にロテール王が崩御、その翌年あとを継いだルイ5世も急死する。このときユーグは摂政、そしてこの後継をめぐって、ついにユーグが立ってカペー朝が誕生するのである。

下はシャールズ・バルテレミー・ジャンの画「皇帝オットー2世の敗北」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。