ヴァイキング4-シャルル2世の西ローマ戴冠

ノルマンの海岸侵攻は843年のフランスはナント襲撃から本格化した。844年には54隻がリスボンへ。845年には120隻が第一次パリ襲撃を行い、ハンブルク襲撃には600隻が参加した。そんなときフランクは841年にフォントノアで壮烈な同志討ちをやっていたのである。

870年にメルセン条約が結ばれたが、帝国の旗本戦力が低下したところに従来の領主層が復活し、もはや帝国はバラバラとなり、内部の領地争いだけが活発化した。875年イタリア王ロドヴィコ2世が崩御すると、西フランク王シャルル2世はイタリアに侵攻して占領。そのクリスマスにイタリアを併合して、教皇より西ローマ帝国の皇帝の戴冠を受けた。

翌876年、異母兄東フランク王ルートヴィヒ2世が亡くなると、皇帝のタイトルを錦の御旗として、アーヘン、ケルンに侵攻した。しかし10月、ルートヴィヒ2世の子3世らの反撃に負けて撤退し、帝国統一の野望は実現しなかった。

877年、シャルル2世はイタリアの反乱を鎮圧しに行くが、撤退するところをその途中で逝去。そのあとを子供のルイ2世継ぐが、「吃音王」と呼ばれ病弱で2年でご逝去。ヴァイキングの侵攻を放置して内輪の領土争いばかりやっていたツケはカロリング朝にまわってくる。

下はヴァイキングに襲われたナントの聖ゴアールの殉教

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。