ヴァイキング1-ハンブルク襲撃と聖アンスガル

フランクが混乱に陥ってる頃、北から脅威が襲来した。いわゆるヴァイキング、ノルマンの大移動である。当たり前だが、内部混乱に陥ると防衛力もへったくれもない。特にフォントノアの大決戦はフランクの戦力を格段に弱めたといわれている。

ところが挑発したのはフランクの側かもしれない。808年、ノルマンに備えて、現在のハンブルクに要塞ができて、811年にここに大聖堂が創建された。カールも存命中でさぞや喜んだと思われる。デンマークのデーン人を始めとするノルマンは、北方の魚やトナカイの毛皮等々の産物をフランクや東方と交易して利益をあげ、人口も増加していた。

827年、ルートヴィヒ敬虔帝時代に、デンマークに通商使節を派遣した。もちろんキリスト教布教とセットで、ここで随行したのが「北方の使徒」と呼ばれる聖アンスガル。彼は830年にスウェーデンのビルカに行って最初の教会を創建している。ところが彼が帰っちゃうとさっそくぶっ壊されちゃうわけだが。831年にハンブルク大司教、834年にハンブルク大司教座ができる、ここまでは順調だったんだ。

ところがこの年、ロタール1世がデンマーク王を名乗る2人の首長を味方に取り込み、デーン人の支配していた現在オランダのワルヘレン島に領地をつくった。これが侵攻と受け取ったのか、この年からフランク領へのノルマンの大規模な侵入が開始され、848年に司教座はハンブルクを撤退して、ブレーメンに移されたのだ。

下はハンブルク大聖堂前の聖アンスガル像

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。