カール大帝はローマからアーヘンに戻って803年まで戦いに出なかった。30年にわたって続いたザクセン戦争は、翌年に終了し、もはやカールが出る必要もなくなっていた。トゥールのアルクィンからは、次々にラブレターが届き、キリスト教帝国の理想君主について熱烈に語られていた。
802年にアーヘンで帝国会議が行われ、「綱領的勅令」が発布、帝国宮廷から諸国に「帝国巡察使」が決められた。またカールは、帝国内の法整備を目指し、それまで各地で行われていた慣習法を成文化した。そして、帝国臣民に対して、キリスト教に基づく生活を宣誓し、促した。あとは戦いではなく、キリスト教が根付くことを目指したのである。
806年、カールは「王国分割令」を発布し、3人の息子に国を継がせ、長男カールをアーヘンを含めた中心部を相続し、帝国の後継者とした。しかし810年、愛する長女に加え、次男を失い、翌11年、期待した長男を失った。もはや大帝を継ぐ者は3男ルイしかなくなった。
大帝を慰めたのは、814年、星の光に導かれ、2人の牧童が使徒ヤコブの墓を発見したという報だった。カールの指示でそこに聖堂が建てられ、中世に渡って欧州各地から聖地として巡礼が盛んになり、イスラムへのレコンキスタのシンボルとなるのである
下は巡礼の丘から見る大聖堂、丘を登りきると皆感動するとのこと
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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