カール大帝の戦いは続く、あきらかに狙いは自分の領土というケチなものではない、ヨーロッパ統一である。786年にはブルターニュを臣従させ、テューリンゲンの反乱を鎮圧、秋には再びイタリアに遠征し、南イタリアのカプアを制圧、南伊のランゴバルトを屈服させた。
787年、独立色を強めていたバイエルンのタシロ3世に改めて臣従を要請し、それが拒否されると三方からバイエルン攻めを決行、一旦は臣従をするが、翌788年、東方のアヴァール人と同盟しようとしたことで、タシロ3世を修道院に幽閉し、カールの親族をバイエルン公に任命した。
ここでカールの帝国は、仏独伊の3カ国の大部分を占めるまでになった。789年カールは、帝国施政方針である「一般訓令」を彼の帝国全体に発動。その序文で「聖なる人々の模範に従い、わが主イエス・キリストの栄光をたたえるために、善き生活を送らせるようにできる限り多くの人を導くのは私の義務である」と高らかにキリスト教理想主義を宣言するのである。
一般訓令では、キリスト教に基づく社会規範を導入しようとし、安息日、つまり日曜労働の禁止も含まれていた。また聖職者にキリスト教だけでなく、子供に読み書きを教える学校を開くよう義務づけている。これはまさにカールとアルクィンの夢の始まりといえる。
下は仏独伊に達したフランク王国領土
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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