強敵と書いて「友」と読む。ザクセンのリーダー、ヴィドゥキントはここで軍門に下った、改宗するなら罪に問わないという条件でである。アティニーの王宮で大々的にヴィドゥキントとその家臣たちの洗礼式が遂行された。しかもカールはヴィドゥキントにたくさんの贈り物をしたという!
いやまったくこの懐の深さこそ大帝たる所以である。カールの伝記作者であるアインハルトは「彼らがその民族的な宗教的慣習と偶像崇拝の放棄を誓い、キリスト教とその聖秘蹟を受け入れ、フランク人と一緒になって民族的統一をなす」と記している。カールはこの洗礼をローマ教皇に誇らしげに手紙を書いた。洗礼を受ければキリスト教の兄弟だが、多分カールはそれを信じていた。
以後ヴィルキントの一族はザクセン公に任じられて、この系統はいわゆるザクセン王家となり、その中から初代神聖ローマ皇帝、オットー一世が出て、カールの後を継ぐのは歴史の綾というものかもしれない。
しかしカールの願いむなしく、ザクセン戦争はまだ終わらなかった。ザクセン社会は、カールの祖先と同じゲルマンの部族社会。ヴィルキントが降伏したといって、「それがどうした」という部族はまだ居たのである。さらに上の諸侯が同意したとはいえ、キリスト教改宗に反発して反乱を起こす部族はまだまだ居たのである。
下はヘアフォルダーのヴィドゥキント像。19世紀末からドイツがフランスと対立するにつれて英雄として再評価されたキナ臭い歴史がある
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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