1814年末には、戦争準備までいったウィーン会議も、翌15年にはようやく方向が見えてきた。英仏墺は、ロシアの要求を容認し、ロシアを味方につけてプロイセンを孤立させ、何とかおまけもつけてザクセン北半分で納得させようとした。何といっても戦争においてロシアとは立場が違う。
しかし、ウィーンではインフレが起きていたが、各国代表団はそれほど金を落とさなかった。英露普ともに、オーストリアのゴチになるのが当然と考え、墺宮廷の支出がかさみ、紙幣増発でどんどん紙幣の価値が下がり、ますますインフレがかさんでいった。そろそろ踊りも限界だった。
そんなとき、ナポレオンのエルバ島脱出の報が入る。タレーランは大見得を切っていたが、実はルイ18世の政権の人気は芳しくない、特に王弟アルトワ伯が率いる超王派(ユルトラ)が、貴族政治に戻そうとしている、王室軍はナポレオン時代の将軍を離反させる、そういうことがメッテルニヒに伝わっていた。
3月12日にウィーンに衝撃が走り、翌13日にタレーランの発議で、ナポレオン非難の宣言が発せられた。情報は錯綜し、ナポレオンは負けたとの噂も伝わった。が、元皇帝は、追討軍を前に「撃ってみろ」と大見得を切って配下に収め、パリを目指して進軍していたのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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