ナポレオン49-決戦のライプツィヒへ

1813年8月、オーストリアとスウェーデンもフランスに宣戦し、第6次対仏大同盟が形成された。オーストリアは、バルカン半島のフランス領に侵攻し、さらにヴェネツィアを攻めた。スウェーデンも南下してナポレオン軍を攻める。諸国は、墺軍シュヴァルツェンベルクを実質司令官とした。ちなみに参謀が行進曲でおなじみのラデツキーである。

その戦略は、ナポレオン軍と対決せず、各方面軍を各個撃破して崩していくことだった。ナポレオン軍の強さは、ナポレオンの臨機応変の命令に、各将が対応できるということである。しかしそれは彼だけが独裁的にできる。他の軍ではできない。もっとも熟練の諸将は、ななり無くなっていたのだが。

しかし危機は西からも迫っていた。イベリア半島の英西葡連合軍はウェリントン将軍を司令官にして前進し、7月にピレネー山脈に到達し、10月7日遂にフランス領の南部に攻め込んだのだ。皇帝兄ホセ1世は、戦いに敗北してフランスに逃げ帰った。西王はまだフランスに幽閉されていた。

ナポレオンは、得意の会戦に持ち込むべく、ライプツィヒ近郊に陣を張った。仏軍17万7千人。普露墺瑞連合軍は3方から集結し、その数25万7千人、ナポレオン帝国の命運を賭けた一戦が始まる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。