西ローマ滅亡の道12-ついに滅亡のとき

アッティラは死んだが、それに対峙したのはゲルマンであり、もはやローマ帝国とは名ばかりで、支配していたのはゴート族出身の軍務長官リキメルだった。474年、東ローマ皇帝ゼノンの承認のもとウリウス・ネポスが軍を起こし西は一瞬だけ正当な帝位者を迎えた。

475年、軍務長官オレステスが、またネポスを追い出し、息子ロムルスを即位させた。ところが、オレステスの約束不履行を不満として、傭兵隊長オドアケルが反乱してオレステスを殺害し、オドアケルは西ローマの帝位を返上。東帝ゼノンは元のユリウス・ネポスを西帝にしたが、480年ネポスが暗殺され、ついに西ローマは滅亡した。

東帝ゼノンは、自らを統一ローマ皇帝として、オドアケルを代官とした。しかしオドアケルはゼノンの対立皇帝を支持したことで、ゼノンは東ゴートの族長テオドリックにオドアケル討伐を命じ、493年、イタリアは東ゴート王国となった。

東ゴート王国は一応東のローマ帝国の臣下となった。しかし彼らはキリスト教の異端とされたアリウス派であった。正統派のローマとしては難しい立場である。そういう時期、ガリア北部では新しいフランク族が急速に勢力を伸ばしてきていた。

下はオドアケルによる西ローマ廃位

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。