西ローマ滅亡の道4-アフリカの危機

ローマ帝国はもう癌があちこち転移している末期症状である。今度はアウグスティヌスの居るアフリカ。軍総司令官に任命されていたギルドというムーア人がいる。彼は東西の不和につけこんで、397年東ローマ側につくと宣言した。アフリカはちょうどチュニジアあたりで東西に分けられていた。

元老院はこれを認めず、ギルドはローマへの穀物輸出をストップした。ローマは食糧をアフリカからの輸出に頼り、ギルドはこれを握ることで巨富を得ていた。そしてアフリカでまだ勢力があり、異端とみなされたドナトゥウス派の民衆を味方につけていた。

西ローマの名将スティリコは、ガリアの穀物をローマに送り、西帝をローマで宣戦布告させた。彼は正統派信徒の実弟をアフリカに送り、ドナトゥウス派を孤立させて戦闘に勝利した。ギルドは398年7月に処刑された。

反乱が鎮圧されても、アフリカでのドナトゥウス派は根強く、アウグスティヌスもその対処に追われた。ドナトゥス派は、罪を犯した者は信徒ではないという潔癖主義だったが、自身、罪を犯しまくってきたアウグスティヌスにとっては、人間は罪を犯すものであり、罪を赦すとことがキリスト教だった。論争は長く続いたが、その中から彼の思想が結実してくる。

下はアウグスティヌスの居たヒッポ遺跡と丘の上の聖堂

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。