西ローマ滅亡の道2-神々の悲劇

2003年、バグダードのサダム・フセイン像が引き倒された。聖像や神像なるものはなかなか過酷な運命をたどる。「人類」の文化遺産などという観念ができたのはごく最近の教育のある人の間だけである。フランス革命ではキリスト教会が襲撃された。当時の人にとっては聖像とは権力の象徴である。

塩野七生サンなどはローマが寛容とか言っているが?ローマは基本的に軍事国家である。ケルトの神もユダヤの神殿もぶっ壊された。そしてローマ神殿を建てちゃってる。ローマ末期の貴族の風紀は酷いもので、神像のようにピッカピカに肌を磨き、大胆に露出して歩くのがブームだった。貴族夫人の不倫は当然でソレ専用奴隷まで居たらしい、現代のホストクラブのようなものだ。

キリスト教の流行はローマの放埓の反作用で生まれた。その人達にとって神像とは偶像というだけでなく、贅沢と不品行の象徴だった。キリスト教が唯一の国教となり、保護を失うと「邪魔だから壊せ」と今度は文化破壊に晒されることとなった。

壊される前に土に埋められた像はその後発掘されて、ルネサンス時代に新たな価値が与えられた。コンスタンチノープルはキリスト教との融合がすでに行われており聖像は残されたが、やがてキリスト教内でも聖像破壊が起きることとなる。

下はペルガモン神殿の「ギガントマキア」神々は巨人に勝利するがまさかこんな形で敗北するとは思わなかっただろう

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。