アウグスティヌスと母モニカ2-ゲルマン大移動ス

ローマ帝国は元に戻っていた。ペルシア遠征でユリアヌスが亡くなり、その場で選出されたヨァイヌスが、メソポタミアを差し上げることで講和した。しかし彼はわずか8カ月で亡くなり、次に軍人帝ウァレンティニアヌスを選出した。ウァレンティニアヌスは、弟のウァレンスを共同帝として、東方を任せた。

しかし375年、ウァレンティニアヌスは亡くなり、息子グラティヌスと、トラキア軍に擁立された4歳のウァレンティニアヌス2世に分裂した。そしてこの年、いよいよフン族に追われたゲルマン人の大移動が開始するのである。フリティゲルンに率いられた西ゴート族は、ドナウ河渡河を始め、東帝ヴァレンスはトラキア移住を認めた。

ところが当初10万人だった移住者は30万人に膨れ上がり、トラキア地方の行政官は、「面倒みきれん」と放りだしたため、彼らは暴れ出した、まるで現代のような話であるが。東帝ウァレンスは鎮圧に向かった。強気な彼は、フリティゲルンと話し合わず、西との合流もせず、単独で勝てると舐めていた。

378年春、ウァレンスはコンスタンティノープルに入り、ゴート族の大軍もコンスタンティノープルめがけて進みだした。ローマ軍も迎え討ち、ヴァルカン半島に入ったハドリアノポリスで会戦した。ローマ軍は円陣を組むゴート族を押し包むように攻めたが、糧秣確保から帰ってきた主力軍に側面から攻撃された。ローマ軍は3分の2が戦死という大敗北を喫し、ウァレンスも戦死した。

下はハドリアノポリスの戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。