356年、後に聖人となるトゥールの司教ヒラリウスのもとに一風変わった軍人風の男が来た。彼はキリスト教徒で、ローマの神々への傾倒を深める副帝ユリアヌスに嫌気がさし、辞めてきたという。そして彼はキリストに会ったというのだ。なんと軍人の頃寒さに震える乞食に出会い、自分のマントを半分に切って与えたところ、夢に半分のマントを持ったキリストが出たという。
司教は彼を修行させて、望み通りポアティエ教会付きエクソシスト、つまり悪魔祓いにした。するとアーラ不思議!皆悪魔が逃げていって正常にもどっちゃった。彼はどうも弁舌巧みで、言葉で人を癒すパワーがあったようだ。師匠ヒラリウスは、少し離れたリグージェに宣教に行かせ、ここでも人を癒し、なんと死者蘇生までやったという伝説がある。そして慕ってきた者達と西方最初の修道院をひらいた。
371年、彼は3代目トゥールの司教となり、ここにマルムーティエ修道院を開いて地域の修道院の中心として教化に努めていき、397年頃亡くなった。その後5世紀に「聖マルティヌス伝」がつくられ、その名はガリアの民衆聖人として広まり、マルティヌスにちなんだ教会があちこちにつくられた。
以前からあったドルイド信仰は、泉を中心として、泉の水で人を癒す信仰であった。しかしドルイドはゲルマンの侵入で荒らされ、その信仰は、キリスト教の癒しと結合して、マルティヌス崇敬が広まったのである。マルムーティエ修道院は、やがてフランク族のクローヴィスを改宗させて、フランク王国をキリスト教に導く。サンマルタン祭は、現在でもヨーロッパ中で祝われている。
下はブルゴーニュ、ノレ教会の聖マルティヌスと乞食像
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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