人間は「裏切り」ということに弱いようだ。ユダから明智光秀までこれでもかというほどヘイトされた。イスラムでは、教徒同士戦争できないもので、今の戦争ではお互い「背教者」と認定して戦っている。ユリアヌスは、キリスト教教育を施されキリスト教皇帝となるはずだった。まあところが、しかしそういうことって多いよね。
キリスト教司教達にとって驚天動地であった。これまでの批判者と違って、この異教者は、キリスト教のことを内部から知っているのだから。新皇帝はもうローマの髭を生やし、6か月後「教育勅令」を発し、各都市の教師は、ギリシャ・ローマの伝統を重んじる者にすべしとした。各都市では、キリスト教聖職者が教師となり、古典も教えていたのであった。
さらに、キリスト教への免税特権も廃止された。そしてローマの神々の聖職者をキリスト教のように組織化しようとした。またキリスト教がやっていた貧者、病者への慈善も国家職員がやるように変えた。そしてどどめに放ったのが皇帝自らの「ガリラヤ人駁論」であった。
ユリアヌスは、イエスが神などとは旧約聖書に論拠がないと詳細に示す。また聖書の創造論とプラトンを比較し、プラトンのほうがより説得力があるとい、旧約に出る神もそんなに尊敬できる神ではないという。つまり、ユダヤ教も神話であり、各民族には、それぞれの神話がある。それは、それを通して人類が持っている共通の神を示しているのだ、という。これはプラトン哲学の神の考えであった。
下はエドワード・アミテージ作「宗教会議のユリアヌス」
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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