背教者ユリアヌス2-プラトン学徒の勝利

ユリアヌスにギリシャ・ローマの教養を身につけさせたのは家庭教師のマクシモスであった。ユリアヌス20歳、もちろん彼の正式の師はエウセビオス司教で、洗礼も済ませている。彼はローマの神々への回帰を秘密にしていた。354年、異母兄のガッルスが処刑されたときは、ユリアヌスは皇后のおかげで難を逃れた。

ところが翌年、人手不足で副帝にされるのだから勝手なものである、23歳。ユリアヌスは、大帝亡き後の混乱でゲルマンが侵入したガリアに赴任した。実戦経験はまるでなし、しかし彼にはローマ帝国への熱烈な愛情、忍従の生活と哲学で養われた冷静さと誠実さ、そして弁舌力があった。兵士も忠誠を誓うようになり、ゲルマン相手に戦勝を収めた。

戦術力を使えばゲルマンに勝てると悟ったユリアヌスは、これまで学んだローマ史の知識を総動員してライン川のリメスに沿って北上し、ケルンまで奪回してしまった。ローマ軍を建てなおせばまだまだいけたのである。とはいえ彼は「おお、プラトン、プラトン、なんという難業か、哲学者にとっては!」と言っていたと伝えられる。

357年、現ストラスブールで、アレマンニ族クロドマル王との決戦が行われた。当初援軍25000人が送られていたが、この援軍はあっけなく敗れれば帰ってしまった。ユリアヌスは3倍近い敵と対峙して言った「ああ、カエサルが見たら諸君らを何と讃えただろう。まさにこれは全ローマの歴史の中でただ一度の決戦なのだ」彼の演説と陣頭指揮によってユリアヌスは勝利した。

下はユリアヌスが勝利したアルゲントラトゥムの戦い

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。