背教者ユリアヌス1-大帝の後を継ぐ者

大帝の葬儀をとりしきったのは、真っ先に駆けつけた次男だった。大帝の不意の死の混乱の中で、次男の策謀で、親族達は幼いガッルスとユリアヌスを除いて暗殺された。3人の息子達は長男コンスタンティヌス2世を正帝として、帝国を3分した。ところがその後息子達は相争う。

長男は三男との戦争に負けて殺され、三男はゲルマンの将軍マグネンティウスの反乱で殺された。次男は337年、マグネンティウスを討伐して、遂にコンスタンティウス2世として単独の皇帝即位を果たすのである。

この帝は父のキリスト教優遇策をさらにすすめた。346年以降、キリスト教会以外にもその土地やその土地での収益も無税となった。この制度によって修道院ができてくる。「祈り働く」というのが修道院のモットーだったが、その開墾した土地も作物も皆無税で修道院のものになったのだ。そしてローマ神殿への礼拝や偶像礼拝も禁止された。

しかしまあ親族といえば、自分が生かした2人の兄弟しかいない。皇帝はガッルスをまず副帝にするが、猜疑心の強い皇帝とうまくいくわけがない。354年、やはりガッルスも処刑。そのあとに起用されたのがユリアヌスだった。彼は6歳からニコメディアに幽閉され、洗礼を受けてキリスト教徒としての教育をたっぷり受けた。ところが20歳のとき、ユリアヌスは、ローマの神々の神秘的な古代の儀式を体験し、魂を奪われた。

下は皇帝コンスタンティウス2世像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。