聖アントニウスの誘惑と修道院の起源

末期ローマは腐敗と乱脈の時代だった。人間は富が一部の者に偏ると、妙なものでその一部の者達が、奢侈を競い合うようになる。ヨーロッパ貴族しかり、日本の元禄時代然り。現代はどうだろうか?すると逆にそれを嫌う風潮も生まれて来る。すでにキリスト教がそういう文化だった。そして極端な者達が現れる。

聖アントニウス、後に修道士の祖とされるが、エジプトの裕福な地主のボンボン。だが彼は270年頃、欲にまみれた俗世が嫌になった、現代でいえばニート。そのとき彼は「何もかも捨てて我に従え」という聖書を読んで、両親から継いだ財産を全部捨て、15年にわたり村はずれで暮らした。その後、決心をして砂漠に出た。どうも中途半端では欲が抜けないと思ったらしい。

砂漠で20年修行をしたあと、ようやく外に出て、村人の前に出て彼らを癒し、隠遁と外に出るのを繰り返しながら、356年頃亡くなった。イエスキリストは、キリスト教を開く前40日間の苦行をしたが、彼はそれほどかかったのだ。そしてこの話はキリスト教正当派となったアタナシウスが伝記を書いたことで広く広まった。

その頃は、もう砂漠修行はブームとなっており、あちこちでコロニーができだ。キリスト教の信仰を端的に示すものは殉教だったが、その機会はなくなっていた。そこで彼らは禁欲によってその証を示そうと競った。この集団が組織化されて、中世文化の中心である修道院ができていく。放埓な古代から禁欲の中世へ。文化的思想的な面でも新しい流れができ、時代は動いていくのだろう。

下は妖怪・怪物絵画の傑作グリューネヴァルトの「聖アントニウスの誘惑」(部分)。実際は一番苦労したのは性欲らしいが

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。