1807年に入ると、ロシアの援軍で、プロイセン・ロシア連合軍がナポレオンに戦いを挑んだが、6月14日のフリートラントの戦いに敗北し、プロイセンはなすすべがなくなる。6月26日に講和会議が開催されるが、なんと当初会談をするのは、ロシアのアレクサンドル1世とナポレオンで、プロイセンは交渉できなかった。
このピンチに立ちあがったのが、普王妃ルイーゼである。実は彼女は主戦派で、ベルリン占領後、ナポレオン贔屓となった新聞は、彼女を「ベルリンのワルキューレ」とあだ名をつけた。しかし彼女の美貌は有名で、それを武器に、美女をはべらかすのが好きなナポレオンに会うことになるのだ。
会談に臨み王妃は「私は死にに行きます」と日記に書く。彼女は嫌々ながらナポレオンのご機嫌をとったが、聞き入れられず、国土は半分に減らされ、多額の賠償金、仏軍の駐留が強制された。ポーランドの亡命者がナポレオンに協力したご褒美に、ポーランドはワルシャワ公国として一時復活する。
しかし王妃ルイーゼの必死の努力は愛国者の心を打ち、後にドイツナショナリズムとして復活することになる。09年に国王夫妻が、ベルリンに帰還できたときには、詩人クライストは「プロイセン王妃に捧げる」という詩を書いた。そして遠くローマ軍を食い止めた英雄アルミニウスを讃える「ヘルマンの戦い」を書く。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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