プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、1797年27歳で王位に就いた。普国はあいかわらず軍事大国だが、王は優柔不断な男で、イギリスにもナポレオンにもつかず中立を保っていた。しかしナポレオンは、遠慮なくライン同盟をつくり、プロイセン領にも侵入した。プライドだけ高い王は戦争を決意した。
プロイセン兵の規律は大王からの伝説である。そんな軍が、フランスに負けるはずはないと奢っていた。ところがフリードリヒ大王と違い、戦さの経験がなく、15万の兵は指揮系統が悪く、遅々として動かない。ナポレオンは何と1辺60㎞の四辺形の方陣を組み、ベルリンに向かって進軍した。
この方陣は、どこが敵と遭遇しても直ちに集合撃破することができる。1806年10月10日、左翼のランヌ軍が、功をあせりさきばしった普王子軍と遭遇して撃退した。王子は戦死、仏軍に包囲されつつあると知った普軍は退却しようとするが、意思決定が遅れ、ナポレオンに気づかれる。
10月14日、イエナでナポレオン軍は、プロイセン軍を叩きのめす。しかし皇帝の思惑と違い、ここは主力ではない。ダブー指揮下の第三軍団は、アウエルシュタットで、3倍の普主力軍に遭遇することとなった。劣勢の仏軍はもちこたえ、普司令官ブラウンシュヴァイク公が戦死して、指揮が混乱して敗北した。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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