ミラノでのキリスト教公認のときで、教徒数はローマの人口で10%以下のようであり、それほど多くない。コンスタンティヌスはそれ以前より、プラトン的一神教を志向しており、それに明確な形を与えたのがキリスト教であった。天下をとってからは、キリスト教振興策を次々に行い、彼のブレーンに司教も入っていき、皇帝にアドバイスした。
しかし野党から与党に脱皮するのはたいへんなことである。権力の統治の手助けをせねばならないし、民衆に統一的な教義を提示しなければならない。ところがこれまでキリスト教は、説教者によっていろんな考えが入っていた。その最大の問題がイエスと神との関係といっていい。神の受肉という考えはかなり破天荒であり、ユダヤ教でもあとに続くイスラムでも認めない。
しかし端的にいうと、キリスト教とはイエスに従う人たちの宗教である。イエスは、ユダヤ教の食事の決まりや安息日を守ったり、断食や献金をするという外面的慣習的な宗教と真っ向から反対し「愛の宗教」を掲げた。イエスが神ではないなら、ユダヤ教でいいことになる。しかし戒律を守ることを信仰とするのはわかりやすい。現代でもそれを免れているとはいえない。
聖書ではイエス自身「神の子」「神の右の座につく」と言っている。そこで当時大きな勢力となっていたのは、イエスは神の被造物であり、神の性質はもつが、神そのものではないという、アリウス派であった。このまま放置すると、キリスト教が分裂して争いが起きるだろう。コンスタンティヌスは介入することにした。
下はアリウス派の教義を表現したモザイク壁画
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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