大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ24-新都

唯一の皇帝となったコンスタンティヌスであるが、324年、リキニウスの勝利直後から新都コンスタンティノープルの建設を決めた。この地は、ヨーロッパとアジアを結ぶ拠点であり、黒海の出口、地形的にもアジア側からは海で閉ざされていて、ヨーロッパ側に城壁で閉ざせば陸からは攻められない要害である。

この地に都市を建設したおかげで、1453年まで中近東地域から東へ侵入することは防止でき、東ローマというローマ帝国は、15世紀まで生き延びた。ビザンティンという名前も東ローマという名前も、西欧が付けた名前であって、彼らの意識は「ローマ帝国」であった。

しかしコンスタンティヌスが帝都をつくるのは前から思っていたようだ。それはやはり古きローマ貴族との対立だろう。ローマに拘る限りローマ貴族を優先しなければならない。北方からのゲルマンの侵入も激しい。それを逃れるためにも帝都を安全な場所に移すのは時宜にかなっていた。新都が完成するのはテオドシウス帝のもとであったが、リキニウスのときの3.5倍という広さは彼の意気込みを示すものだろう。

帝都の建設は翌25年から始まった。特徴的なことは、皇帝崇拝モニュメントと、キリスト教会の双方があったことであり、これは今後のローマ帝国のモデルとなった。しかし都市そのものはローマから彫像や柱などが移転してできたものだ。母ヘレナは、エルサレムに近くなったと喜んだ。そして歴史に残る巡礼をする。

下はローマ時代のコンスタンティノープル

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。