「女とパリは留守にしてはだめだ」とナポレオンが言ったということだが、コルシカ生まれのナポレオンは、女性に対しては封建的で男性中心である。ナポレオン法典の中でも、女性は夫の後見のもとにあると書かれている。もっとも彼自身かなりパリを留守にして最後に失敗した。
帝政になってからは、奔放な妻ジョセフィーヌにもドレスコードを要求し、胸の大きく露出するファッションは、出がけにも容赦なく脱がした。おかげでギリシャローマ時代の流行もあって、女性のファッションは、直線的なものになり、男性は黒を中心としたシックなものになった。
演劇には特に介入し、夫を裏切る女性や誘惑に乗る女性の演劇はできず、さらに喜劇も好まれなくなった。王や皇帝の偉大さを演じる劇は好まれ、マクベスなどは禁止された。ヒトラーやスターリンもそうだが、独裁者の時代は、いい文学もいい演劇も生まれにくくなる。
しかし男性は、不倫もおかまいなしで、皇帝自身があちこちで愛人をつくった。そういうわけで、パリにはかなりの数の売春婦が居て商売をしていた。パリ市内ではギャンブルはOKで、パレロワイヤル近辺で開かれていた。表と裏があって、品行方正な時代とはおせじにも言えなかったようだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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