西方皇帝時代にも、コンスタンティヌスはキリスト教振興措置を講じている。316年には教会での奴隷解放を承認、キリスト教徒になれば奴隷身分を免れることができる。18年には聖職者裁判権を承認、帝国皇帝の手の届かないところをつくったのは驚くべきことといえる。19年には聖職者はその聖務に没頭できるよう公の負担を免除された。さらにその年、母ヘレナと共に、使徒ペトロの殉教地とされる場所に大規模な教会を建てた。これがサンピエトロ大聖堂の始まりである。
20年には独身男性でいることの不利益がなくなった。コンスタンティヌスの措置によって、都市市民の子弟やインテリ中間層が聖職者へとなっていったのである。また支配地では、教会が建造され、教会は皇帝の寄進によって土地財産を与えられたので、聖職者は独立階級として自立できる地位を得た。国教にはしないが、キリスト教が広まっていったのは当然といえる。
しかし、東方では全く逆となった。20年、東方皇帝のリキニウスはキリスト教迫害を再開した。リキニウスとしてみればキリスト教にそこまで肩入れする理由は乏しく、コンスタンティヌスが東方制覇をしてれば、キリスト教徒達が味方をして、領内で撹乱される恐れがあるとみて当然といえる。
だが、もちろんこれはミラノ勅令違反としてコンスタンティヌスが討伐の口実にしてくることは明らかであった。リキニウスは、反キリスト教を旗頭にして、ローマ他東方宗教教徒を糾合して迎え討つ目論見であっただろう。しかしやはり、それは団結力に乏しいものとなる。
下はコンスタンティヌスの建てたサンピエトロ大聖堂
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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