大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ21-ガリア

うっそうとした森に覆われたゲルマニアとは違い、ガリアと言われたフランス、特に南部は気候も温暖で平原が多く、紀元前58年のカエサルの「ガリア戦争」によってローマの植民が進んだ。ガリアにはケルト人が住んでいて、ローマの征服と植民によって混交がすすみ(とフランス人は言っている)、ローマの屋台骨になった

ここで出てくるのがフランス王家の守護聖人となる、聖ドニである。聖ドニは、3世紀初頭、まだローマでも公認以前のキリスト教が、ガリア宣教をめざして送り出した一人だとされている。彼は、今のパリのあるシテ島に住み宣教を続けたが、250年頃殉教したといわれる。その地が現在のモンマルトル=殉教者の丘、である。しかし彼は自分の首を持って歩きだし、自分の墓に選んだのがサンドニ大聖堂のところと言われている、ホラー。

ローマ時代に、リメスの壁の向こう側ではキリスト教的伝承ができていたことは文化の違いとして象徴的である。迫害時代からガリアでは教会ができている。ともあれ、ガリアにはリメスを突破して、ゲルマン族が侵入を繰り返すようになった。コンスタンティヌスは317年に、ライン、ドナウ両川より侵攻、ライン流域は前妻の長男で副帝としたクリスプスをあてた。

クリスプスは父の期待に応え、よくフランク族を制圧できたようである。また皇帝自身は、ドナウに大きな仮橋を架け、最強のゴート族と戦った。最終的に4万の族軍をローマに組みこむことで、降伏が得られたのが322年。もはやローマ統一への障害はなくなった。

下はレオン・ボナ作「聖ドニの殉教」ちょいホラー

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。