実はパリの総裁政府もまるで不安定。1797年の国会選挙では150人が改選されたが、ほとんど王党派が勝利した。翌年の選挙で王党派が勝てば過半数を握られるため、9月4日、バラスらは、ナポレオンに頼み、軍を派遣してもらったりしてクーデターを起こし、選挙を無効にし、8万人の軍で216名を逮捕した。
さらに翌98年4月の改選では共和派が伸長すると、5月11日、またしても政府に反対する議員106人を議会から追い出した。政府の頼みは軍の勝利と略奪であり、スイスやイタリア方面にさらに侵攻する。そしてナポレオンをエジプト遠征に派遣する。エジプトはオスマンに従属していたが、イギリスの交易拠点だった。
総裁政府は、今や唯一の敵国となったイギリスを攻撃してほしかった。しかしナポレオンは、まだ海軍力は叶わないとみて、エジプト遠征にした。そこから南下して紅海を押さえ、イギリスのインド貿易を邪魔しようという作戦だった。実はナポレオンはアレクサンダー大王を夢見ていたようだ。
その証拠に、大軍隊だけでなく、学者やジャーナリストまでナポレオンは連れて行く。このおかげで、遠征で「ロゼッタストーン」が発見されて、エジプト学が進む。肝心の石板は、ナポレオンの後に来たイギリスが持ち帰るわけなのだが。しかしもはやただの軍人の域を完全に超えている。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント