ロシア帝国の道22-エカチェリーナ大帝崩御

1796年11月16日、ロシアの大帝エカチェリーナ2世は脳梗塞で崩御した。彼女は「王冠をかぶった娼婦」といわれるほど、多くの男性と関係し、その力を借りて治世を行い、特にポチョムキンは、彼女の栄光に大きく貢献した。ピョートル大帝を経て、彼女は軍事のみならず外交文化面でもロシアの地位を高めた。

彼女が政治の極意をポチョムキンの副官に語った。実は、政治状況を確かめ、助言を受け、教養のある人に相談し、慎重に事をすすめるのです、と言っている。啓蒙専制君主と言われる所以であるが、彼女の出した先進的改革の多くは、治世には実らなかった。

しかし、息子パーヴェルとはお互いに確執があり、パーヴェルは母から毒殺されることを恐れていた。母は息子の勝手に怒り、権力を削いだ。最期の時期に、息子をとばして、最愛の孫アレクサンドルに帝位を譲ろうと本気で考えていたようだ。もし寿命が少し長ければそれが実現したかもしれない。

パーヴェル1世は、即位後、母のやったことに反対のことを行った。さらに男子の帝位継承を決めた、実はロシアにはそれまで14人も女帝が居るのである。結局パーヴェル1世は1801年にわずか在位5年で暗殺され、大帝の望み通り、孫のアレクサンドル1世が即位する。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。