ナポレオン5-第一次対仏大同盟崩壊

1796年ナポレオンは、自分が征服した北イタリアの都市を、チザルピーナ連邦、ミラノをトランスパダーナ共和国とした。やがてこれらは合併してフランスの従属国となる。実際はフランス軍の駐留がないと何もできない国である。ともかくロンバルディアを通って、オーストリアへ攻め込む準備ができた。

オーストリアは、アンヴィンツィ将軍が決戦を挑もうとしていた。1797年1月14日、リヴォリの戦いが始まった。墺軍は6個師団4万人を投入して、谷合の仏軍を包囲殲滅しようとした。仏軍は苦戦したが、墺軍部隊が包囲迂回に手間取っている間に、後方は捨てて前の敵に全力集中して勝利を収めた。

ナポレオンは決定的勝利を掴み、2月2日にマントヴァが降伏し、さらに東に軍を進める。3月9日にはヴェネツァ北東のパッサーノに本陣を移す。ヴェネツィアは、かつての強国の面影はなく、観光文化都市となっていた。欧州貴族は修学旅行に必ず訪れたらしい。

ナポレオンは、ウィーンに駒を進めるより、ヴァネツィアを餌に講和しようと考えた。4月18日にレオーベンの秘密条約が結ばれ、オーストリアが失う領土の補償としてヴェネツィアを割譲することになった。そしてそれは10月18日のカンポ・フェルミオ条約で正式決定、第一次対仏大同盟は崩壊した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。