「政治のカメレオン」フーシェは、国民公会派遣議員として、仏西部の反乱鎮圧に派遣されていた。フーシェ自身西部のナント選出議員だったからしょうがない。ところがこの地方で、統治の才能を見せる。彼は思想ではなく、勝つためにはなんでもするというマキャベリストだった。
ということで、まず貧民に金や食料を出して支持を獲得し兵も募集、一方で教会を破壊し、金持ちの高価な家具などを没収してどんどんパリに送った。一緒に活動していた議員ショーメットは「市民フーシェは数々の奇跡をなしとげた」と称賛するほどだった。
その結果、彼は反乱の大都市リヨンへ送り込まれた。リヨンは穏健な産業都市で、急進的革命に反対し、町の指導者シャリエを処刑、1793年8月から革命政府に派遣された3万の兵がリヨンを包囲し、砲撃によって降伏させたばかりだった。
11月、リヨンに派遣されたフーシェとコロー・デルボアは、国民公会の方針に従って、徹底的な処刑を開始した。ギロチンでは間に合わぬと、自ら穴を掘らせて、その前で2000人を銃殺した。フーシェはこれで「リヨンの虐殺者」というあだ名も頂くことになる。しかし彼は逃げ込んできた知り合いには「革命の手先になる奴らは頭のおかしなヤツばかりだ」と言ったとのことだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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