ロシア帝国の道20-第二次ポーランド分割

フランス革命は「啓蒙専制君主」エカチェリーナ2世を変えた。革命直後はロシアでは自由に報道ができた。しかし国王が処刑されるや、女帝は反革命となったが、ちょうど卒中を起こしたこともあり、ロシアとの距離は遠すぎた。しかし彼女は亡命者を受け入れ、革命の情報を手に入れた。

1791年、ロシアは検閲を復活。あれほど好きだったヴォルテールの著作も禁書にされた。ロシアの農奴制を批判する本の著者はシベリア送りにされる。そして恐れた通り、フランス革命の影響は属国となったポーランドに浸透し、91年5月3日、民主的な5月3日憲法が制定された。

守旧派は、この憲法はジャコバン派だと言ってロシアに介入を要請、5月18日ロシア軍はポーランドに侵攻を開始した。ポーランド軍は奮戦したが、国王はさっさとロシア軍に降伏した。ポーランドはプロイセンと同盟を組んでいたが、エカチェリーナは革命の影響がポーランド経由でプロイセンに来るとフリードリヒ・ヴィルヘルム2世を脅す。

1793年1月23日ロシアとプロイセンは第二次ポーランド分割を勝手に行った。ロシアは露土戦争にも勝利しており、クリミアと合わせてウクライナを手中に収めた。プロイセンはポーランド南部を取得し、かつての共和国は半分以下になった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。