仏王処刑20-第二のフランス革命仏王幽閉

革命当時から、パリは各地区代表を決めてコミューンができていた。しかしジャコバン派が主導権を握って急進化し、各地から集まった連盟兵がこの動きに加わる。8月6日にはシャン・ド・マルスで、合同の大集会が行われ気勢をあげた。ブランシュヴァイク宣言に刺激されて、王権の廃止を求める。

8月9日、孤児院ホールで、ほとんどサンキュロットの地区代表総会が開かれ、翌10日早朝、彼らは市庁舎を乗っ取り、市政府を廃止、市長ペチヨンを軟禁して、蜂起コミューンとして無制限の権力を握ると宣言した。そして国王の居るチュイルリー宮に押し寄せた。

ルイ16世は、6月20日とは反対に、パリ県知事レデラーの助言に従って、事態を鎮静させるため議会に避難した。その間侵入した暴徒達によって、警護にあたっていたスイス兵は虐殺された。実際の暴徒は予想より少なく、制圧は可能だったという指摘もある。ルイ16世は安全のためタンブル塔に入れられた。

暴徒達が王権廃止を叫ぶ中、議会はとりあえず国王の「職務停止」を決定した。しかしこれは制定された立憲君主制憲法にはそぐわず、何とまた憲法をつくらねばならない。8月10日事件は第二のフランス革命と言われる。議会は役に立たず、暴力が事態を決め、暴力が広がっていく。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。