仏王処刑9-王の秘密の味方ミラボー伯死す

1791年4月2日、革命最大の大物政治家ミラボー伯が42歳の若さで突然亡くなった。彼は少し前から胃腸関係が悪くなり、歌劇場で喀血し、数日で亡くなる。実はミラボーは自分の借金などのためにルイ16世から秘密に金をもらっていた。アントワネットは彼が好きではなかったが、90年7月3日に会っていた。

ミラボーはそれから「国王には頼りになる者が一人しかいない、それは妻だ」と言ったという。ミラボーは、革命の熱狂が醒めてくれば、国民は生活の問題になって、革命議会は見離されるだろう。そうなれば、王が議会を解散して、立憲君主制の議会をつくればいいと考えていた。

実はミラボーは、王の脱出方法まで提案していた。新皇帝レオポルト2世に国境まで進軍してもらい、ミラボーが国王の陣頭進軍を議会で要請して、堂々と脱出して、挙国一致政府を提案するというものだ。もちろん首班ミラボーで。野望ばかりのこの男も死には勝てなかった。

ミラボーを葬るために、急遽革命のための新しい祭壇が必要となった。そこでちょうど建築中だったパリの守護聖人聖ジュヌヴィエーブ教会が目をつけられ、ここに大々的な式典で葬られた。そしてここは現在でも、フランスに貢献のあった偉人の墓所となり、2017年でも式典が行われた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。