仏王処刑7-聖職者民事基本法の亀裂

1790年7月12日、立憲議会で「聖職者民事基本法」が可決された。この法律は、聖職者を公務員として、その行政区の選挙民によって選挙で選ばれるとするものだった。国王ルイは、22日に裁可に同意したが、翌日、教皇ピウス6世より、この法律は国家を宗教戦争に導くもので、認めてはならない」との文書を受け取った。

国王は、ベルニヴァチカン大使と協議、またヴァチカンでも特別委員会を設けた。しかしヴァチカンは革命に反対の機運が強く、議会のほうは教皇などおかまいなし、議会にはこの機に司教に立候補したい聖職者も多い。しかし地方で抵抗運動も起き、国王は間に挟まれることになった。

8月26日、この法律はとりあえず国王裁可となり、ルイは教皇に穏便な返事を催促した。教皇からの返事は届かず、国は分裂の様相を見せていた。翌年91年3月10日、教皇は回勅で、基本法が教義に反していると宣言した。この間、亡命貴族や、仏国内の既存司教からの働きかけがヴァチカンにあった。

さらに教皇は断りなく司教を任命したタレーランらに対し聖職停止にした。国王には双方から圧力がかかり、何も言えなくなった。国をまとめるのが国王なのに、皆いうことをきかずに、分裂に走っていく。何のための国王なのか、と考えても不思議ではない。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。