フランス革命の道29-運命のネッケル罷免

居座る議員達に、国王は「ほおっておけ」と言った。そしてそんな中ネッケルが辞表を出した。王妃アントワネットは、ネッケルに会い、彼を国王のところに連れて行き、今回は辞表を撤回した。ネッケルが宮廷を出ると群衆が囲み、自邸まで行進した。人々はネッケルに希望を託した。

1789年6月23日の御前会議では、三身分の区別を堅持しつつ、税を投票で決める権利を地方議会に与えることとした。地方は貴族が握っているので、貴族側寄りの決定だった。この案が三部会開会のときに示されていれば事態は変わったかもしれない。しかし今や議会が望むのは自らの決定権だった。

国民議会に集まる特権身分はどんどん増えていた。軍は突入の指示を待ったが、ルイ16世は「余の諍いで一人も犠牲を出したくない」と手紙を出し、国民合意のため、他の身分も国民議会へ集まるよう指示した。国王夫妻の人気は高まり、群衆は宮廷に入ってバルコニーに居る国王一家を讃えた。

ところがネッケルは、自分の政敵2人を更迭するよう王に願い、また辞任をちらつかせた。7月11日内務顧問会議で、ルイ16世は遂にネッケルの辞任を認め、後任の首席大臣に王妃の信任の厚いブルトゥイユを任命した。ブルトゥイユは、国王の改革案を国民議会に強制的に承認させようと考えていた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。