フランス革命の道23-スヘルデ川危機一髪

1784年、オーストリアとオランダの間で問題が勃発した。アントウェルペン近くを流れて北海に注ぐスヘルデ川は、ライン川、セーヌ川と繋がり水運で重要な川だが、オランダは自由航行を拒んでいた。南ネーデルランドを統治する皇帝ヨーゼフ2世は、そこに強引に小船を運行して、オランダに砲撃された。

この「航行の自由」作戦で、墺軍は8万人の軍隊を動員し、オランダは、フランスに援助を求めた。皇帝はフランスに援軍を要請し、板挟みになったのがルイ16世とアントワネットである。彼女は、皇帝と墺大使メルシーにせっつかれて、故国側で動き、夫国王に要請した。

この結果、フランスは査察に軍を送り、オランダはオーストリアにこの事件の賠償金を支払った。しかしこの事件は、パリで格好の風刺の的となり、そこでは王妃を「オーストリア女」と呼び、以後、王妃の事件が起こるたびにこの名が繰り返されて定着してしまう。

スウェーデン伯爵フェルゼンは、アメリカから帰仏して、王室スウェーデン軍隊長になっていた。85年3月に王妃に次男が誕生したとき、フェルゼンの子との噂が立ち、パリ訪問も非常に冷たくあしらわれる。「いったい私があの人たちに何をしたというのでしょう」とアントワネットは嘆いた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。