フランス革命の道18-パレ・ロワイヤル

1780年オルレアン公フィリップ2世は、かつてルイ14世も住んだパレ・ロワイヤルの屋敷の庭園の周囲に建物で回廊をつくり、商人に貸し出した。するとそこは、アーケード街のような賑わいを見せ、レストランだけでなく、大衆劇場やカフェが出来、流しの楽師、娼婦までが集まる場所となった。

おまけにここは大貴族の私有地ということで、警察も立ち入り禁止だったのだ。つまり一種の自由空間ができたわけである。当然きわどい政治風刺詩が販売され、自由にものを言った。物見遊山な貴族達も、そこへこっそりお遊びに出かけて、ビリヤードや賭けで楽しんだ。

カトリックはいろんな祭りを考え出したが、パリはカーニバル都市と化していたのだ。多分ベルリンでこれをやれと言っても無理だろう。そこではまさにカトリックのカーニバルのように、無礼講で、身分の混在が起きていた。つまり三部会はもう起こっていたのだ。

少し前の啓蒙文化人達が居たのは、貴族のサロンだった。そのおしゃべりは印刷されることで、サロンを飛び出し、その言葉はもっと過激になって大衆がしゃべるようになった。やがて絶好のヒーローが飛び出し、89年に「諸君武器を取れ!」とアジテーションがされるのがこのパレ・ロワイヤルである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。