王太子妃アントワネットはストレス満載である。まわりから急かされるが、夫ルイはどうも性器に問題があったと言われている。また王太子妃も痛がったようだ。おまけに寵姫デュ・バリーとの対立やら堅苦しいきまりやら、モーたくさん!というわけでパリにお遊びに出かけるのだ。
しかしパリでは率直で愛らしい王太子妃は大人気だった。そのうち王太子まで誘う。初めはぎこちなかったルイも、民衆の喝采にだんだん自信をもってきて、夫婦仲もよくなってきたらしい、夜の営みやヴェルサイユは相変わらずなので、彼女はまたパリに出かけた。
1773年にはウィーンで彼女に音楽を教えた作曲家グルックをパリに呼ぶ。モーツァルトはこのときアントワネットの居ないウィーンに行っている。どうも二人の運命はチグハグに回る。王太子妃はグルックのオペラを成功させ、パリの流行への影響力を行使しはじめ、母女帝は懸念した。
そして74年1月、仮面舞踏会で運命の男に出会う。フェルゼン様ことハンス・アクセル・フォン・フェルゼン、どちらが先かは知らないが、二人は惹かれあったとのことだ。しかし74年4月、いままでピンピンしていた父王ルイ15世が、突然天然痘に罹ってしまった。運命の歯車が回り出す。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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