大王対女帝12-普墺仏、戦争と外交

デッティンゲンで勝利したオーストリア軍は、フランス軍を追いかけてロレーヌに迫った。指揮官はマリアの夫フランツの弟カールである、彼は故郷奪還に燃えている。これを見たプロイセン王フリードリヒ2世は、ここぞとばかりに1744年8月17日、ベーメン(ボヘミア)に侵攻した。

この名目は、自分達のかついだ皇帝カール9世を承認させ、欧州に平和をもたらす、ということである。いちいちへ理屈をつけるのがさすが哲人王。しかしそれをきいたカールの墺軍はベーメンへ急行する。さらにザクセンまで墺軍に味方して兵を出した。

プロイセンの頼みはフランスである。フランスは43年に摂政フルーリーが亡くなって、いよいよルイ15世の親政が始まった。しかしプロイセンの電撃作戦についていけるわけがない。ようやく王自らアルザスまで出兵するが、メスで病気にかかり重体となった。

実はこのとき愛妾のシャトールー侯爵夫人を連れていったのだが、世間にすこぶるウケが悪く、従軍司祭は病気快癒のためには彼女と別れて懺悔すべしと言った。背に腹は代えられぬと仏王は懺悔して別れて、病は回復するが、彼の女癖はそんなことで変わりはしない、次の愛妾が名高いポンパドゥール公爵夫人である。

下は映画「ポンパドゥール夫人」冒頭あざとい王との出会いのシーンがある

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。