大王対女帝10-英国仲介で普墺和睦へ

1741年5月28日、ニンフェンブルク宮殿で、フランス、スペイン、バイエルンの3国同盟が結成され、神聖ローマ皇帝をバイエルン王カール・アルベルトにすることで同意した。そして翌42年1月24日、フランクフルトで即位式をあげた。ところがこの同盟はチグハグで、ウィーンをめざしていたフランス・バイエルン連合軍は、思惑の不一致でプラハへ方向転換する。

これをしめたとばかり、ウィーンを防衛していた将軍ケーフェンフュラーは、ハンガリー軍を加えて、方向転換する殿軍のフランスを叩き、そのままリンツから、主不在のミュンヘンを逆占領した。女王マリアはこの将軍に熱烈なラブレターのような礼状を送った。

さてイギリスである。1727年にジョージ1世が崩御し、息子2世が継いだ。しかし彼は相変わらずハノーファー選帝侯であり、不穏な神聖ローマの情勢で一旦帰独する。実はアメリカではイギリスは1739年から、スペインと「ジェンキンスの耳の戦争」を戦っていた。

首相ウォルポールは大陸不介入だが、フランスが大きくなるのは具合が悪い。そこでオーストリアにプロイセンとの和平をもちかけ、5月17日コトゥジッツの戦いでオーストリアが敗れると、シュレージエン割譲を認めて和平した。

下はウィーンのマリア・テレジア広場のケーフェンフュラー将軍像

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。