ロシア帝国の道13-ピョートル大帝崩御

1725年1月25日ロシアのピョートル大帝は崩御した。ロシアの近代化を進め、欧州大国の仲間入りを果たしたが、その強引なやり方は国民に多くの犠牲を強いた。首都ペテルスブルクは、湿地帯につくられ、農民が強制的に駆り出されて多くの犠牲を生んだ。

強力な軍をつくるために国民はさまざまな名目で税を課せられ、24年には人頭税がかけられ、農民はいっそう疲弊する。貴族会議は解散させられ、ロシア正教の上には宗務院がおかれ、皇帝の専制が強化された。不満は多くの反乱や、暗殺計画となり、政治警察がフル稼働した。

皇子アレクセイとは不仲で、ここに反対派が集まった。皇帝は彼を不信に思い、16年皇子はウィーンに亡命する。しかし皇帝は彼を連れ戻し、尋問して彼の支持者を粛正、継承権を奪い、投獄した。そして死刑を宣告された後に獄死し、息子が居なくなってしまう。

22年、帝国継承法をつくり、皇帝の望む者を後継者にするフリーハンドを得たが、疑心暗鬼にかかった皇帝は誰も指名できないうちに突然死を迎えた。皇帝派の近衛兵らは、有無を言わさずペテルスブルクの宮廷を押さえ、皇后エカテリーナを即位させた。

下はピョートルとアレクセイ

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。