啓蒙の光12-ヴォルテールとモンテスキュー

1726年、ヴォルテールが渡英した時代はジョージ1世末期だった。イギリスではウォルポールのもとで責任内閣制ができていた。絶対王政のフランスで育ったヴォルテールには何もかも新鮮だっただろう。彼はフランスで知己となっだボリングブルック卿の世話になった。

彼は、イギリスの自由な宗教を見たり、商業の繁栄に驚き、シェークスピア劇やニュートンの葬儀に感動した。イギリスで、彼の自由主義思想はますます確固としていく。そしてこのイギリスを、フランスに紹介しようと、早くから思いついたようだ。それは帰国して「哲学書簡」として結実する。

ところがその前に同じことをやった男がいた。同じ英才シャルル・ド・モンテスキューである。彼はボルドーの貴族出身、実は同じくイエズス会で幼年教育を受けている。イエズス会は、幼年教育に熱心で、修辞学を徹底的に習わされて文章と論理力がついた。

21年、モンテスキューは匿名で「ペルシャ人の手紙」を発刊した。国も文化も違うペルシャ人が語ったという形式を通じて、当時バブルが崩壊して、金計算に踊っていたフランス社会をからかい、キリスト教の三位一体の計算がわからないという。国際的知識がフランスに流れこんだのだ。

下左はヴォルテール右はモンテスキューいかにも頭が良さそうな2人

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。