1705年、ヴァージニア植民地で、最初の体系的な「奉公人・奴隷法」ができた。黒人奴隷は、最初は年季奉公で自由になることもできた。ところがインディアンを殺して、労働力不足に陥ったプランテーションでは労働力確保のために黒人奴隷が固定されていく。理由は野蛮を矯正するためであった。
宣教師たちは、黒人にもキリスト教に改宗させたいと思った。しかし伝統的に、キリスト教徒は自由人である。このため農場主達は、黒人にキリスト教を教えることに反対する。洗礼などもってのほか。何とこのために、宣教師達は、キリスト教徒でも奴隷ということで妥協したオイオイ。そして聖書にも奴隷が書かれているという、何という聖書主義!
1705年の法律では、その国においてキリスト教徒でなかった者は奴隷となる、とはっきり書かれた。待て待て、じゃあアメリカで生まれた子供はどうなんだ、といえば、子供は母親の身分に従うとなっている、いや結局奴隷じゃん。
奴隷は逃亡をしたり反抗したりしたが、それは野蛮の印とされた。そしてそのための罰も矯正のために当然とされたのである。ついでに言うと、黒人女性は白人によって性的搾取をされた。それで混血の子供が生まれることもある。そのために「ワンドロップルール」が作られた。一滴でも黒人の血が入れば黒人である。
下は最初の頃の黒人奴隷市場
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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